特定行為研修修了者:医療現場における看護師の新たな専門性
特定行為研修修了者とは、2015年10月に施行された「保健師助産師看護師法の一部を改正する法律」に基づき、特定の医療行為を実践するために必要な知識と技術を習得した看護師のことです。医師の指示を待たずに、手順書に則り、一定の条件下で高度な医療行為(特定行為)を実施できるようになることで、医療現場における看護師の役割が拡大し、より迅速かつ質の高い医療提供への貢献が期待されています。
この制度は、超高齢社会の到来や医療の高度化・複雑化が進む中で、医師の負担軽減と医療チーム全体の最適化を図ることを目的として導入されました。特定行為研修修了者は、医師と連携しながら、患者の状態をより細やかに観察し、必要な処置をタイムリーに行うことで、患者の早期回復や重症化予防、QOL(生活の質)向上に貢献する重要な存在となっています。
1. 特定行為研修制度の背景と目的
特定行為研修制度が導入された背景には、以下のような日本の医療が抱える課題がありました。
- 医師の長時間労働と負担増: 医師の業務が過密化し、特に専門性の高い医師に業務が集中することで、長時間労働が常態化していました。
- 地域医療の医師偏在: 地方やへき地では医師不足が深刻であり、必要な医療が受けられない地域も存在していました。
- 医療の質・安全の確保: 医療の高度化に伴い、医療ミスや事故のリスクを低減し、患者中心の医療を提供するためのチーム医療の強化が求められていました。
- 看護師の専門性向上のニーズ: 医療現場で培ってきた看護師の専門知識や技術をより有効に活用し、自律的な役割を拡大するニーズが高まっていました。
これらの課題に対し、特定行為研修制度は、**「特定行為」と呼ばれる一部の医行為を、医師が作成した「手順書」**に基づいて看護師が行えるようにすることで、医師の負担を軽減し、医療資源をより効率的に活用し、ひいては国民への医療提供体制を強化することを目的としています。これにより、看護師は医師の指示を待つことなく、患者の状態変化に即応できるようになり、医療の迅速性・継続性・質が向上することが期待されています。
2. 特定行為とは何か
特定行為とは、保健師助産師看護師法第37条の2第2項に規定される**「診療の補助であって、看護師が手順書により行う場合には、実践的な理解力、思考力及び判断力並びに高度かつ専門的な知識及び技能が特に必要とされるもの」**として厚生労働大臣が定める行為を指します。
現在、特定行為は21区分38行為が定められています。これらは、特定の病態や治療過程において、看護師が患者の状態を評価し、適切な判断のもと実施することが効果的であると判断された医療行為です。
特定行為の21区分(例)
- 呼吸器関連
- 気管カニューレの交換
- 人工呼吸器管理中の体位調整
- 循環器関連
- 脱水症状に対する輸液の開始・量の調整
- 血圧変動時の薬剤投与量の調整
- 栄養関連
- 胃ろうチューブの交換
- 経管栄養チューブの管理
- 創傷管理関連
- 褥瘡の処置
- 創傷管理に必要な薬剤の選択
- 検査・診断関連
- 動脈血液ガス分析のための採血
- 血糖変動時のインスリン投与量の調整
- 疼痛緩和関連
- 持続点滴中の鎮痛剤の投与量調整
- 救急関連
- 緊急時の気管挿管介助
- その他
- 褥瘡の管理
- 栄養に係るカテーテルの管理
- 創傷に係る薬剤の管理
- 呼吸器関連
- 血糖コントロールに係る薬剤の管理
- 感染に係る薬剤の管理
- 術後疼痛に係る薬剤の管理
- 循環動態に係る薬剤の管理
これら特定の行為は、医師があらかじめ作成した**「手順書」**に基づいて実施されます。手順書には、特定行為を実施する対象者、実施する状況、判断基準、実施する特定行為の内容、特定行為を行った後の評価、医師への報告の要否や時期などが明確に記載されており、看護師はこれに沿って安全に特定行為を行います。
3. 特定行為研修の内容と期間
特定行為研修は、厚生労働大臣が指定した**「指定研修機関」**で実施されます。研修内容は、特定行為を安全かつ適切に実施するために必要な「共通科目」と、各特定行為区分に特化した「区分別科目」に大別されます。
- 共通科目:
- 内容: 特定行為を実施する看護師に共通して求められる、倫理観、高度なアセスメント能力、病態生理学、フィジカルアセスメント、医療安全、チーム医療論、多職種連携論など、基盤となる知識と実践的な思考力を養います。
- 時間: 最低250時間(座学・演習)
- 区分別科目:
- 内容: 各特定行為区分の専門的な知識、技術、判断力を習得します。例えば、「呼吸器関連」であれば、人工呼吸器のメカニズム、呼吸生理、呼吸器疾患の病態、アセスメント、人工呼吸器の設定調整の考え方などを学び、シミュレーションや臨床実習を通じて実践力を高めます。
- 時間: 特定行為区分ごとに異なりますが、一般的に数時間から数十時間(座学・演習・実習)
研修期間: 共通科目と区分別科目を合わせて、通常6ヶ月から1年程度を要します。研修機関によっては、複数の特定行為区分を同時に学ぶことができるプログラムや、eラーニングを活用したフレキシブルなプログラムも提供されています。
研修修了要件: 各科目の修了試験に合格し、臨床実習において特定行為の実施能力が評価されることで、研修修了者として認定されます。
4. 特定行為研修修了者の役割と活躍の場
特定行為研修修了者は、以下のような幅広い役割を担い、多様な医療現場で活躍しています。
- 医師との協働による迅速な医療提供: 医師の指示を待たずに特定行為を実施できるため、患者の急変時や処置が必要な際にタイムリーな介入が可能となり、患者の安全と状態安定に貢献します。
- チーム医療の推進: 看護師がより専門的な役割を担うことで、医師はより高度な診断や治療に注力でき、多職種連携が強化されます。これにより、医療チーム全体のパフォーマンスが向上します。
- 患者教育・相談: 特定行為を行う中で得られる患者の病態や治療に関する深い知識を活かし、患者や家族へのより専門的な説明や相談対応が可能となります。
- 医療の質の向上と効率化: 特定行為を適切に実施することで、入院期間の短縮や再入院の防止、合併症の予防などにつながり、医療の質向上と医療資源の効率的な活用に貢献します。
- 地域包括ケアシステムの推進: 在宅医療や地域医療の現場では、医師が常に近くにいない状況も多いため、特定行為研修修了者が地域に増えることで、在宅での療養支援の質が高まり、地域完結型医療の推進に貢献します。
主な活躍の場
- 急性期病院: 救急外来、ICU(集中治療室)、CCU(冠疾患集中治療室)、手術室、病棟など、患者の急変リスクが高い部署や高度な医療が提供される場所。
- 慢性期病院・療養病床: 高齢者や慢性疾患患者が多く、継続的なケアが必要な場所。
- 在宅医療・訪問看護ステーション: 医師が頻繁に訪問できない状況で、患者の状態変化に対応し、医療処置を行う重要な役割を担います。
- クリニック: 外来での処置や慢性疾患管理において、医師の業務をサポートします。
- 介護老人保健施設: 入所者の医療ニーズに対応し、健康管理や状態変化時の適切な対応を行います。
5. 特定行為研修修了者になることのメリット・デメリット
特定行為研修修了者になることには、看護師個人、医療機関、そして患者にとってそれぞれメリットとデメリットがあります。
メリット
- 看護師にとって:
- 専門性の向上: 高度な知識と技術を習得し、看護師としてのキャリアアップと専門性の確立につながります。
- 自律性の拡大: 医師の指示を待たずに、自身の判断で特定行為を実施できることで、看護師としての裁量権が拡大し、やりがいを感じやすくなります。
- 貢献実感の増加: 患者の状態変化に迅速に対応し、医療提供に直接貢献できるため、仕事への満足感が高まります。
- キャリアパスの多様化: 特定行為研修修了者としての資格は、今後の医療現場での需要が高まることが予想され、就職や転職における選択肢が広がります。
- 給与・待遇の改善: 医療機関によっては、資格手当の支給や昇進の機会が増える可能性があります。
- 医療機関にとって:
- 医師の負担軽減: 特定行為を看護師が行うことで、医師は診断や治療方針の決定など、より専門性の高い業務に集中できます。
- 医療の質の向上: 患者の状態変化への迅速な対応が可能になり、医療の質向上、合併症予防、早期回復に貢献します。
- 医療の効率化: 医師の待機時間を減らし、医療提供のプロセスをスムーズにすることで、医療機関全体の業務効率が向上します。
- チーム医療の強化: 看護師の役割拡大により、多職種連携がより緊密になり、医療チーム全体の機能が強化されます。
- 経営的メリット: 質の高い医療提供体制を構築することで、患者からの信頼獲得や、診療報酬上の評価向上につながる可能性があります。
- 患者にとって:
- 迅速な医療処置: 必要とされる医療行為がタイムリーに受けられることで、苦痛の軽減や状態の早期安定につながります。
- 質の高い継続的なケア: 看護師がより深く病態を理解し、一貫したケアを提供できるようになります。
- 医療の安全性向上: 医師・看護師間のコミュニケーションミスが減り、より安全な医療提供につながります。
- QOLの向上: 特に在宅医療の現場では、自宅で安心して質の高い医療が受けられることで、生活の質が向上します。
デメリット
- 看護師にとって:
- 学習負担の増大: 研修期間中は、膨大な量の知識と技術を習得する必要があり、学業と仕事の両立が大きな負担となることがあります。
- 責任の増大: 特定行為の実施には、医師と同等の責任が伴います。万一の医療事故が発生した場合の責任問題は、常に意識しておく必要があります。
- 経済的負担: 研修費用が高額になる場合があります(医療機関からの支援がある場合も多い)。
- 周囲の理解: 新しい資格であるため、医療機関内や患者、他の職種からの理解を得るまでに時間がかかる場合があります。
- 医療機関にとって:
- 研修費用と人員確保: 看護師を研修に派遣するための費用負担や、研修期間中の人員配置の調整が必要になります。
- 手順書の作成・管理: 各特定行為を実施するための手順書の作成、承認、更新といった管理業務が発生します。
- 責任体制の明確化: 特定行為実施における責任の所在を明確にし、医療安全体制を強化する必要があります。
- 医師の理解と協力: 医師が特定行為研修修了者の役割を理解し、適切に連携することが不可欠です。
- 法的な側面:
- 医療事故発生時の責任: 特定行為は医行為であるため、医療事故が発生した場合の法的責任の所在は、引き続き議論の対象となることがあります。医師の指示に基づくとはいえ、看護師自身の判断が問われる場面もあるため、適切な判断能力が求められます。
6. 今後の展望と課題
特定行為研修修了者制度は、日本の医療提供体制において非常に重要な役割を担っており、今後のさらなる発展が期待されています。
今後の展望
- 特定行為研修修了者の増加: 国は特定行為研修修了者の数を増やすことを目標としており、今後さらに多くの看護師がこの資格を取得することが見込まれます。
- 活躍の場の拡大: 病院だけでなく、在宅医療、介護施設、へき地医療など、より多様な場所での活躍が期待されます。
- 医療の質・効率の向上: 医師と看護師の役割分担がより明確になり、医療チーム全体の生産性と質が向上することで、患者にとってより良い医療が提供されるでしょう。
- 国際的な動向: 特定の医療行為を看護師が行う制度は、欧米諸国では「NP(ナースプラクティショナー)」や「APN(アドバンストプラクティスナース)」として広く普及しており、日本の制度も国際的な潮流に沿ったものと言えます。
課題
- 研修機会の均等化: 地域や医療機関によって研修の機会や支援体制に差があるため、誰もが研修を受けられる環境の整備が求められます。
- 特定行為実施の適正化: 特定行為が安全かつ適切に実施されるための、標準化された手順書の普及や、継続的な教育・評価体制の構築が必要です。
- 法的責任の明確化: 医療事故が発生した場合の医師と看護師の責任分担について、より明確なガイドラインや判例の蓄積が求められます。
- 他職種との連携強化: 医師だけでなく、薬剤師、理学療法士、栄養士など、他職種との連携をさらに強化し、チーム医療としての機能を発揮するための継続的な努力が必要です。
- 社会的な認知度向上: まだ新しい資格であるため、国民や医療関係者全体の理解を深め、特定行為研修修了者の役割と重要性を広く周知していく必要があります。
7. まとめ
特定行為研修修了者は、日本の医療現場において、看護師の専門性を飛躍的に高め、医師の負担軽減、医療の迅速性・質の向上、そして地域医療の充実に貢献する重要な存在です。この制度は、超高齢社会における医療ニーズの多様化に対応し、患者中心の安全で質の高い医療を提供するための強力な推進力となるでしょう。
特定行為研修修了者を目指す看護師にとっては、多大な学習努力と責任が伴いますが、それに見合うだけのやりがいと、日本の医療を支える重要な役割を担う誇りを得ることができます。今後、特定行為研修修了者が医療現場でさらに活躍し、その価値が社会に広く認知されることで、日本の医療提供体制はより強固なものとなることが期待されます。